今年2017年の冬至入りは昨日12月22日
「冬至(とうじ)」には、
ゆず湯に入る・かぼちゃを食べる・
小豆(あずき)を食べるなど、元々は中国から伝わり、日本で独自に発展したものも含め、
いくつかの風習があります。
【目次】
その中から3つほど、今年うちでやってみたことは
- かぼちゃを使ったおかずを作った
- あんこをお餅と美味しく頂いた
- 豆乳寒天を作った
くらい。
かぼちゃ
▲かぼちゃ・小松菜・豚肉をごま油で炒め煮したもの
秋冬にはたまに作るよ
この度はエリンギも入れました
かぼちゃは、ビタミン・カルシウム・鉄分を含み
風邪予防・疲労回復の効があり、冷え性や動脈硬化
を防ぐ働きもあると言われている
身体を温めるので、寒い時期には食べたい一品
寒天
なんやこの美味しい豆乳!
と思ったらやっぱりシロップが入ってるやつでしたけど
ミルクの代わりにこの豆乳を使って豆乳寒天にしてみた
腸のお掃除もしてくれるしダイエットにも嬉しい一品
豆乳の比重が重かったのか二層になってしまいました
上の写真は、豆乳寒天にさらに豆乳・黒豆きな粉がかかってます。
お好みではちみつを加えても美味しいと思います。
冬至の七種
因みに、
かぼちゃも寒天も「冬至の七種(ななくさ)」で
- 南瓜:なんきん
- 蓮根:れんこん
- 人参:にんじん
- 銀杏:ぎんなん
- 金柑:きんかん
- 寒天:かんてん
- 饂飩:うんどん(=うどん)
という具合に「ん」が2つも付いていて、たくさんの
「運」を招くと言われているんですって。
科学的に根拠がないと言えばそれまでですが
語呂合わせで縁起もの、厄除けの意味を持たせ
無病息災や健康長寿・家内安全などを願って、
この様な食文化や行事が生まれ継承されてきたんですね
小豆
いけないものにハマってしまいました
これは、あん餅
お餅の中にたっぷりあんこが入ってて
少し焼き色がつくまでトーストするとめちゃ美味
「一陽来復」
一陽来復の意味
- 陰暦10月に「陰」が極まり、11月の冬至に「陽」が初めて生じることから。冬至。
- 冬が去り春が来ること
- 悪いことが続いたあと、ようやく物事がよい方に向かうこと(「一陽来復を願う」)
冬至では、太陽は南回帰線上にあるため
北半球では昼が最も短く、夜が最も長い
宮城谷昌光『重耳(ちょうじ)』は、
中国春秋時代の晋の国が背景の小説です
その中に、冬至に関する一節があるので
ご紹介します
齢80を迎えた重耳の祖父(名は称、晋の国王)
が、敵を攻める「時」を迷い、
重耳に問いかける場面がある。
宮城谷昌光著『重耳』より抜粋
称にとっては、長い二カ月間であった。
例年に比べて雪が多く、翼へつづく路は完全に雪の下に埋没していることであろう。快晴の日にまちの外へ出て、まぶしげに北方をながめた称は、
ーーいまが天命の時であるはずなのに、天はわしをさまたげようとしている。
と、碧天に向かって疑問を投げかけた。
翼を滅ぼすことに、まだどこかにむりがあるのであろう。が、称はそれを認めたくない。
認めれば、おのれの長寿を悔やんで死ぬことになる。おのれの長寿を意義のあるものにしたい。そのためには雪原に兵を進めるほかない。
ーーいま出師(すいし)するがよいか。
も少し待つか。
称は迷いながら宮門まできた。二つの人影をみた。
「重(ちょう)よ」
と、称は声をかけた。重と呼ばれた青年は、重耳(ちょうじ)であった。重耳のうしろに郭偃(かくえん)が立っている。二人ははしりぎみに歩をすすめてきて、称にむかって拝手した。重耳は堂々たる体格である。が、あいかわらず冴えぬ羊裘(ようきゅう)を着ている。
「寒いな」
称は白い息を吐いた。重耳は返答に窮したように背をわずかにまるめた。称は笑いがこみあげてきて、
「そうか。重は、寒くないのか。そうよ。わしも汝の齢には、寒さはまるで感じなかった」
と、いい、じつのところ自身も寒さを感じていないというおかしさを噛み殺しながら、この当意即妙を欠いた孫をあらためてみた。
ーー形のない青年だ。
と、称はおもった。風采も才智も淡靄(たんあい)がかかったように目立たない。しかしこの場合、よい意味でそう思った。
三人の孫のなかで、申生(しんせい)はじつにみごとな形相をもっている。容姿はすぐれ、心術はさわやかで、孝心が篤い。
~中略~
ーーそこへゆくと、重耳はおもしろい。
空漠とした天下を相手にするのであれば、形があれば負ける。賢愚をみせぬ重耳のとりとめのなさが、じつは常人ではみえぬ天下取りの巨大な器なのかもしれない。
もともと天下に野望があった称が、そんな目で、このみばえのしない孫をみたのは、今日がはじめてである。
称は祖父を憶い出した。
~中略~
称はそう考えながら、歩きはじめた。称のうしろに、重耳がおずおずと従った。重耳のうしろに称の侍臣が従い、そのうしろを郭偃が歩いた。
先頭の称が足をとめると、この縦列はみごとに停止した。
「重よ。わしは迷っている。なにゆえか、わかるか」
ふりむきながら、杖をうごかし、称はそう問うた。重耳は半歩さがった。が、こんどは目を落とさない。
ーーおお、なにやら意見があるらしい。
称はたのもしげに重耳の口もとをみつめた。
「短日でございます」
重耳の口から出たことばはそれであった。
「短日ーー」
称は眉をひそめた。短日とは、冬の短い日のことである。自分の問いが、重耳の体内にはいって霧散したようなたよりなさをおぼえた。
ーーやはり、重耳は凡愚にすぎぬか。
と、がっかりした称は、まなざしに淡い憐れみをまじえた。そのとき重耳はふたたび口をひらき、
「その短日が、今日、極まりましたので、陰と陽とが争い、それにより、さまざまな生物が蕩(うご)きはじめたせいで、人の考えも定まりません」
と、吶々(とつとつ)といった。
重耳のいう、短日が極まったとは、より正確には「日短至る」といい、冬至のことである。べつないい方をすれば、冬至とは陰の気が尽き、陽の気が生ずる、そのさかい目であり、「一陽来復」もおなじことをいう。ちなみに周暦では冬至がその年のはじまりといってよいが、晋という国は夏暦になじんでおり、夏暦では立春が歳首にあたるため、称の頭のなかでは、年が改まったというおもいはない。いずれにせよ、冬至をすぎれば、春がはじまるといってよく、春の到来が人生の幸福と考えれば、冬至とは苦難の時のおわりにあたる。
重耳のことばにはそこまでの含蓄がある、と驚嘆しかかった称は、ふいにおもいあたったことがあり、
「重よ。よくぞ申した」
~中略~
「日短至れば、わしは、どうすればよい」
という問い方にかえた。
「恭容(きょうよう)を保たれ、陽の気が陰の気にまさるのを待ちます。動かれるのは、それからでも遅くはございません」
重耳の背中から声が揚がった。むろん郭偃の声である。
「雪が消えるのを待つのか」
「いえ、雪はみせかけでございます。雪の下では、すでに春にむかっての動きがはじまっております。陽気をお感じになったら、発たれませ」
称のまなざしが、重耳からはなれ、上昇した。やがてそのまなざしは、澄空のすがすがしさをもちかえって、ふたたび重耳にそそがれた。称の心地から迷いが去ったということである。
……以下略……
冬至は、日が最も短い、冬の底の日
ここを境に、徐々に日は長くなり
気も、人の心も上昇する
そんな日が冬至です
あなたにも、わたしにも
素敵な日々が待っていますように