月餅teatimeのblog

中国留学時代の話を書きたくてブログを始めました。神戸を中心に関西のハイキングや街ぶら、史跡巡りを多く書いています。たまにハンドメイド・随筆。

【中国留学備忘録2】留学準備から到着周辺に起きたこと。

 

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【目次】

 

留学決定ボタンを押す瞬間

 

ココロはほぼほぼ、

「ワタシ中国行く」方向にギアが入ってはいるが、

しかしいざ「決定」ボタンを押すべき瞬間には、

些かの迷いが生じるし、

もう一人のワタシが「一回考え直す?」

など引き返す理由をちょっと探したりする。

 

ワタシが生活するであろう環境を

一回見てみてから決めたい気持ちもあったが、

往復の時間とお金を費やした挙句、

ワタシの気持ちにシロクロ決着をつけるだけの

収穫があるとも限らない。

 

一年分の宿泊費と授業料を一括で支払い、

その瞬間から肚をくくった。

当時のレートで一年分の宿泊費は20万円、

授業料も20万円だ。

それに、仲介した(英語・中国語の)学校に

マージンをプラスして。

仲介料は、安くはなかったと思うが、

このご縁が無ければこの留学はまず無かったので、

ワタシの中ではヨシとしている。

 

決定ボタンは点灯し、そこから準備を開始した。

 

留学準備あれこれ

 

さて、やらねばならない事がたくさんある筈だが。

 

出発前はわちゃわちゃと数々の手続きに翻弄された。

几帳面なようで、呑気な性格が

いつもこういう事態を招くのだ。

 

「立つ鳥跡を濁した」一件は、

一人暮らしをするにあたって、

固定電話の権利を買ったのだが、その電話番号の

使用停止(休止?)の手続きが出来ていなくて、

基本料金が引き落とされ続けた明細が

実家に届いており、停止の手続きを代わりに

してもらい迷惑をかけたこと。

 

因みに「固定電話の権利」は10万円。

当時は携帯電話はまだ無い時代。

電話線を家に引くには、必ず10万円を電話局に

支払って権利(電話番号)を買わねばならないのだ。

(権利は要らなくなって返します、と言っても10万円は返ってこない。10万円どころか1銭も返ってはこない、突っ込みどころ満載なこのシステム、まぁ予備知識として)

 

その他、主な準備として

  • フライトチケット予約
  • パスポートの申請と取得
  • X(エックス)ビザの申請と取得
  • 一人暮らしの部屋のモノの整理
  • 中国へ生活用品荷物を送る

など。

 

細かいところでは生命保険解約や、

市役所へ移転届けなどもした。

 

フライトチケットの予約

 

関西⇄厦門の直行便は当時無かったので

(一時期直行便ができたが現在はまた無くなっている)

香港経由のチケットを取った。

復路は未定だったので、片道のみ。

確かJALだったが、関空→香港→厦門の片道チケット

が何故か、10万円したのを憶えている。

 

パスポートの申請と受領

 

前のパスポートは期限が切れており、改めて作った。

 

申請には、まず申請用紙をもらいに行くところから

証明写真・収入印紙・収入証紙・住民票写し・

戸籍謄本(戸籍抄本)の準備など、

細々と手間がかかる。

 

申請から受領までに、7前後営業日かかるのが一般的

なので、余裕をもって申請しましょう。

 

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申請から受領までのノウハウ(外務省HP)▼

パスポートの申請から受領まで(初めてパスポートを申請するとき等の例) | 外務省

 

パスポート申請書ダウンロード(外務省HP)▼

TOP | パスポート申請書ダウンロード | 外務省

 

(2019年7月現在の情報です)

 

X(エックス)ビザの申請と取得

 

6ヵ月以上の中国留学は「X(エックス)ビザ」

を渡航前に取得しなければならない。

X(エックス)ビザとは「学生(xúe shēng)」の

頭文字をとった留学生ビザという意味だ。

 

因みに「6ヵ月未満の留学」や観光目的の場合は

F(エフ:fǎng wèn:訪問)ビザが必要だが、現在、

日本パスポートの場合、15日以内の中国旅行は

ノービザで行ける。

 

で、このXビザの申請と受領には、中国領事館へ

行かねばならない。

関西だと、大阪の阿波座(あわざ)にある。

パスポート同様、申請時と受領時の2往復、足を運ぶ

ことになる。

 


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▲左が、大阪で取ったXビザ(初入国)。

その他は全て、一時帰国の前に、

再入国の際に必要なXビザを厦門現地で取った。

再入国時に左肩に日付けスタンプが押される。

 


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初めの一年間は帰らなかったが、その後は半年ごとに

一時帰国していた。

父とは半ば親子喧嘩同然の気不味い感じのまま

中国留学を決めてしまったのだが、

父が「お金出したるから帰っといでー」の甘言以来

それに乗じて行ったり来たりさせてもらった。

 


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▲左が、2001年のL(エル:lǚ yóu:旅遊)ビザ、

他は、2004年のFビザ。

Lビザは30日以内、Fビザは180日以内に適応。

シールで貼るタイプになっていた。

現在は如何なってるのか知らないが、

ワタシは以前のスタンプのビザが好き。

 


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▲余談:(パスポートを見ていて懐かしかったので)

こちらビザとは関係ないが、

香港が中国に返還された年(返還は1997年7月1日)の

中国国慶節(10月1日:いわゆる建国記念日)の

連休に、留学生友達3人で3泊4日の

香港マカオ旅行をした時のパスポート印。

 

また機会があれば、この時の旅行のお話もしたいと思う。

 

一人暮らしのモノの整理と荷物発送

 

ワタシが「やりたい」「こうしたい」と言った事に

対して、大概のことは容認してきた父だったが

先述の通り、中国留学に関しては、父とは

確執が生じており、それでも譲らないワタシに

「好きにせい」と言い放ち、

「好きにしまーす♡」と威勢よく飛び立った手前

荷物を預かってくれ、とは頼みにくく、

幸い新品同様の白物家電(父に買ってもらった)や

炬燵テーブルは、同僚や知人が欲しいと言って

買ってくれたので、本当に有難かった。

 

それ以外のモノは、何から何まで(使いかけの

ボックスティッシュまで)全てダンボールに詰めて、

留学先に船便で送った。

確か大きなダンボール箱に12個くらいだったと

記憶している。

当時のことなので、日中辞典・中日辞典、小説、

『広辞苑』まで送った。

 

この時の教訓か、今ワタシは何処へ行くにも

最小限の荷物しか持っていかなくなった。

 

厦門到着

 

そんなこんなで、1995年9月4日の夜半、

ワタシは厦門空港に降り立った。

 

今でもよく憶えているのは、

関西空港の滑走路からまさに離陸する瞬間、初めて

不安が襲ってきたことだ。

「ワタシ、ほんまにやってもたわ」と。

 

上空に上がった頃には

「とりあえず、ここまできたんやからやるしかない、

当面は目の前の事をこなしていくしかない」

と思い、不安は消した。

 

もう一つ憶えているのは、

厦門空港の出口ドアを出た瞬間の、経験したことの

ない湿度の高さと暑さ。

暑さにはめっぽう弱いワタシ、

「うぁー、エラいとこ来てもたわ」

というのが正直な第一印象だった。

 

が、同時に、未知への希望に満ち溢れていたのも

事実だ。

 

巻末言

 

ざっと、準備段階のことを思いつく限り書いた。

あれやこれやの手続きや、荷物の処分なんかに

追われたので、忘れてしまってることもあるだろう

が、思い出した時は追記しようと思う。

 

 

そういえば、

退職するにあたって、職場の男性先輩から

「(今の年齢でこれから留学なんて)

もう遅いんじゃないの?」

と言われたのを憶えている。

当時はまだそれほど晩婚化は言われていない時代

でもあったし、悪気のない発言でだったことは

分かっている。

しかし実際、モノゴトを開始するにあたって

「遅すぎる」ということはない。

少なくともワタシはそう考えてきたし、

行動してきた。

 

実際やってみて、結果ダメだったなら、

それはそれで良いのだ。

 

年齢や性別や、体力などを理由に

「もう無理なんじゃ」と思うのも自由だが、

それを決めるのはあくまでも「本人」。

 

無理と思ったらそこまで、

やってみた人には、未知の可能性が広がっていると

考えているからだ。

 

 

厦門到着〜のお話は

次回以降の講釈につづく。

 

 

中国留学備忘録1▼

www.geppeiteatime.com

 

 

お題「ブログをはじめたきっかけ」

 

 

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