はてなブログを書き始めて2年が経ちましたよ、
のメールが届き、(1ヵ月ほど前)
そこに
「書き残そう、あなたの人生の物語」
とあったので、、、
日記調のブログは、海外在住か、
よっぽどの達文か、動物ネタでないと
需要はそうないだろうと想像したが、
はてなブログを始めようと思ったキッカケでもある
「中国留学時代のネタ」を備忘録代わりに書いて
みようと思った。
何編か続くかもしれないし、
いざ書きだしてみると、そのネタは
シリーズ化させるに値しない容積しか無かったことに
気づくかもしれない。
まぁ、いいや、
何でもやってみないと分からないということで、
とりあえず書いてみようと思う。
【目次】
中国留学・きっかけの巻
1995年9月4日、ワタシは厦門の空港に降り立った。
厦門(アモイ)は、中国・福建省の沿岸部にあり、
経済特区に指定された都市である。
位置的には、台湾の真向かいにあたる。
初めて踏んだこの地で、
この先どれだけの期間続くか未定の、
留学生活を始めるのだ。
人生には幾度か、大きな選択と決意を迫られる
節目が訪れるものだが、ワタシにとってこの留学も
そのうちの一つに数えられるものになった。
中国留学に至った経緯は、
ちゃんと話せば長くなるが、
長年フワッと抱き続けた幾つかの願望が
不意の地殻変動によって、ガシッとひとつの形に
なった感じ。
この1995年は阪神淡路大震災があった年だ。
それまでの数年間、ワタシは英会話スクールに通い
そのスクールで縁あって中国語も学び始めた。
「日本から一旦出たい」願望は募ってきていて、
アメリカ合衆国か、カナダの大学へ留学すべく
資料を集めだしていた。
「アメリカかカナダ」という選択は、
ワタシが英米文学科卒業なので自然と目がそちらへ
向いたのだ。
留学となると、語学だけではなく、これといった
専攻学科を決めておきたかった。
集めてきた大学資料の中で、最も興味を持ったのは
「森林学部」だったが、果たしてコレに情熱を傾け
られるか否かは、疑問符が付いた。
ワタシは自然科学の分野が好きなので、
最も近いのが森林学だったというわけだ。
それとほぼ同時期に、習っていた英語と中国語で、
特に中国語の方が俄然面白くなってきて、
リーディング・スピーキング・リスニングの力が
英語を上回ったし、これからも上達する気がした。
「気がする」というのは、
ヒトが何かを選択する際に大いに影響する要因だ。
1995年1月17日の阪神淡路地域を襲った大地震は、
まさしくワタシに変革をもたらす事件になった。
当地域に住んでいた人達にとって、あれが一大事件
とならなかった例はないといえるかもしれない。
誤解を恐れずに申し上げると、あの大地震の
10分後、ワタシは「やったーー!」と叫んでいた。
自身のここ数年以来の、前にも後ろにも進めない、
膠着状態から、抜け出せると感じたからだ。
袋戸棚の重い戸板が、イエデンワに落ちてきて
壊れて不通になり、水道とガスは止まり、
もちろん停電なのでテレビも点かない、
外がどういう状況なのかも分からないまま。
当時ワタシは実家暮らしだったが、
築年数の古いその借家は「全壊」とみなされ、
もう住めない家となり、
親は、職場が所有している職員寮へ、
ワタシは計2か月の間、知り合いの家、
2軒にお世話になった。
知り合いとはいえ、暫くプライベートのお家に
お邪魔して寝食を共にするというのは、
何とも気を遣うものだ。
あちら様のプライベートも、
ワタシ側のプライベートも、
グッと羽根を窄めなくてはならないだろうから。
住む家のないワタシを快く受け容れてくださった、
その2軒のお宅には本当に感謝している。
これを機に、賃貸マンションの部屋をさがし、
白物家電は全て、父におねだりして揃え、
震災の2ヶ月後には、大阪で一人暮らしを開始した。
初めての一人暮らしは、何とも快適。
実家ではほぼ家事などしなかったが、
一人になれば出来るもんだ。
毎日自炊し、お安くお昼の弁当も作った。
必要最低限の消費はするが、節約生活を楽しんだ。
新しい生活を始めて2週間ほど経ったころ、
英語と中国語を習ってる学校からの
「中国へ行ってみない?」
旨のお話に、ワタシの心は揺れ動いた。
ワタシの中のモヤッとした霧のような願望が、
何らかのエネルギーを得て、
ベクトルを帯びた瞬間だと言える。
自分が「中国へ行く」なんてことは、
それまで微塵も想像したことがなかったし、寧ろ、
中国という国を見ないようにさえしていたのに。
中国語を学び始めたのは、英語のクラスで
「誰か中国語やりたい人?」と訊かれて
ワタシの右手が勝手に挙がってた、それだけだ。
実はこちら側に「興味」という原因があるから、
「やりたい人?」「行ってみない?」の縁に
反応するのだ。
その「興味」は無意識下である場合もある。
そこからの展開は速かった。
時折、不安になるほど、それはまるで、
ブラックホールに吸い込まれるかの如く、
見えない未来に向かって、ことは進んでいった。
そして再び、新しい生活に向けての準備が始まった。
「中国行かない?」話をもらって実に5ヶ月後には
中国大陸初上陸を果たすのだった。
巻末言
だいぶ端折ったつもりだが、
中国留学のきっかけの要点は書いたと思う。
留学決定・準備・到着〜に関しては
次回以降の講釈につづく。