15年ほど前、冬のある真夜中、私は突如右の背中に痛みを感じた
就寝中であったが、仰向けから左肩を下に寝返りをうとうとしたその時、瞬時に「ぅわ、やばい痛みや」と判断がつく違和感だった
場所は右肩甲骨の内縁中部、東洋医学のツボでいう「膏肓(こうこう)」(*註釈)に当るあたりである
咄嗟に仰向けに戻り、私はその背中の痛みを封じ込めた
咄嗟であり、直感的にそうしたのは「何かが破れた」様な気がしたからだ
応急的に作戦は成功、違和感は一旦治まったが
心のハザードランプは点滅したまま、私はとりあえず朝までこの姿勢で寝ることにした
人は突然のショックな出来事に対して一旦「無かったことにならないかなー」という淡い希望を持つようだ
私は当時、総合病院に勤務しており、病院から道一本隔てた隣の敷地の職員寮に住んでいた
翌朝布団から起きあがると、淡い期待も虚しく
「やばい痛み」は依然としてあったが、
その日の勤務シフトは、こんな事あるんかいなというくらいありえない史上最低人数で回さなければならないものであったため、仕事をしている間、次第に範囲が広がりつつある痛みと恐怖を感じながら午前中の仕事を果たし、お昼に入る前の落ち着いた隙を見計らって上司に駆け寄り「背中と胸が痛むので、診察に抜けさせてください」と訴えた
上司は何かちょっと冗談気味に何か言ったが意に介さず踵を返し一目散に総合受付へ
なんとか午前診に駆け込み、とりあえず胸部レントゲンを撮ってもらった
そのあと待合で待つ間にむしょうにトイレへ行きたくなり、これ以上無いというくらいの快便で大腸スッキリ、体も軽く清々しくトイレから出ると、
顔馴染みの看護師さんが血相変えて
「ちょっとちょっとー!何処行ってたんよー!
怒られるからコレ、乗って」
と言いながら私を車椅子に乗せ、エレベーターの「上がる」ボタンをパシッと叩く
ぇぇ〜〜なになになに〜〜?
個室の部屋に入れられ、その後はどの順番でどうなったのか記憶から消えているのだが、
医師から「右肺の気胸」だとの宣告
あ、そうだエレベーターであの看護師さんから
「こーんなぶっといトロッカで
ブッスーここに刺されんねんでー!」
って言われた。右の脇下あたりを指して…
周りの人が見ていたら、その時の私は至極冷静だったと思う
実際頭の中はガーーンΣ('◉⌓◉’)
そして、なんちゅう事言うねんこの人…!
あぁ無情。と思ったものだが、後になってみると、深妙な雰囲気や優しい言葉をかけてもらってたより、あのショッキングな処置の痛みに耐えられたのかもしれない
と思いたい
実際、処置は痛いなんてもんじゃなかった
痛くて泣いたのはおそらく子供の頃以来だと思う
そもそも気胸とはどういうものかというと
肺が破れて、肺とその直ぐ外側を覆う胸膜との間に、呼吸で吸い込んだ空気が漏れ出て、肺がどんどん空気に押し潰される形にしぼんでいく状態である
自然気胸では肺尖という肺の最上部に小さな穴が開くことが多く、技師もMRI(=核磁気共鳴画像法)で肺尖部分を中心に丹念に私の気胸部位の痕跡を探してくれたのだが結局は痕跡不明に終わった
自分の場合はあの痛みが最初に出たところー膏肓ーだと今でも信じている
そして処置というのは、トロッカと呼ばれる、親指ほどの直径はあるチューブを肋間から刺し込んで負圧をかけ、肺と胸膜の間に溜まっている空気を外に出し、肺の傷口が塞がるのを待ってトロッカを抜き、最後に皮膚を縫合する
トロッカを刺し込む部位は側胸部あるいは前胸部ーー私の場合、最初に刺した側胸部パターンがどうも効果が芳しくなく、前胸部パターンに変えられた
おいおいおい何してくれんねん勘弁してくれよ
ただでさえ、健康な皮膚と筋肉をメスで切られたことに抵抗があるのに、また?!
しかも!意識のある患者に対して、インフォームドコンセントくらいしっかりとってから処置にかかるんが現代医療界の常識ちゃうんか
私を担当したその外科医は、患者とのコミュニケーションはさておき処置に最善を尽くし結果良ければ全てオーライという性質を持っていた。
実際に外科看護師の間でも、あの先生にかかった人は皆んな元気に帰って行きはるから大丈夫、という定評があったのは確かである
そんなことが頭の中をぐるぐる渦巻いてはいたが「何すんねんこの○ブ○○ャー!」
の一言も出ないまま処置は終わった
同僚の先輩が、ちょうどその直後に様子を見にきてくれた時、トロッカの差込口が変わっていることに驚き
「わぁ〜〜ん、痛かった〜〜〜!」。゚゚(´□`。)°゚。
痛いのと情けなさに泣きだした私に
「痛ぁて泣くて…相当やんね…」よしよし言いながら頭のマッサージをしてくれた
あの時の先輩の優しさは今でも忘れていない
そのチューブが肋間に刺さっている間は、全身の力を抜いてベッドに横になっているのが最も痛みを忘れていられる状態だ
右の脇下(側胸)にチューブが刺さっているので当然、右を下に寝返りをうつことは出来ないし、かと言って反対向きになるにもチューブが肋間や差込口にテンションがかかり過ぎて、結局側臥での安眠は諦めざるを得ない
チューブ自体、点滴のそれとは比較にならないくらい太いものだし柔らかくもない、チューブの向こう側には負圧を保つ為の重たい装置がベッドの柵に掛けられている
それらの装置を付けられた身は、鎖に繋がれた犬よりも動きは不自由なのだ
前胸に変更した後は、多少安定感はアップしたものの、やはり仰向けのまま寝ているのが最もストレスが無い為、ちょっと物を取ったりする時も、食事やトイレに起き上がらねばならない時も、上半身の筋肉の利用を最少限に抑え、痛みが最も響かない方法を模索したりした
ベッドに座った状態から仰向けに寝転がる時は、上半身の筋肉を使わず「ポテッ」と一瞬で転がるのが最もストレスフリーであることも発見した
看護師さんが見て驚いてくれた、一見雑なこの寝転がり方はお勧めできる
じわじわ悶絶しながら寝転がる痛みの5%以下なのだから(個人的感想・笑)
ショック・現実逃避の時期を経て、痛みに耐えながら少しでも快適な動作を模索しているうちに、普段は考えない様な事をいろいろと考えたりする
「生きるために」のスイッチが入り
良き医師像→良きリーダー像はコレだという理論を立てたりもする
たかが2日か3日間の入院で学ぶ事が多かったと思う
入院をきっかけに何かが変わるというのはよく聞く話だが、私の中でも何か大きな揺れと地殻変動があった様な気がする
なにはともあれ
気胸でチューブが刺さっている人へのお見舞いは、或いは控えておいた方がいいこともある
痛みやら、突然なんで自分がこんな目に?!みたいなショックで消耗している時に、本当に親しい間柄という訳ではない方に会うのは気を遣うし更に消耗するかもしれない
そんな弱っている状態で、居てくれて、来てくれて嬉しかったのは、家族・同僚、そして看護師さんたちだ
この時の私の同僚とは病院勤務のスタッフたちなので、なんだか安心感があったのかもしれない
胸筋のみならず、ちょっと腹筋を使っても痛いのに、笑わせてくれた同期の同僚ーーにわかに明るい気持ちになったし元気になった
看護師さんには、本当にお世話になったし、感謝している
一人の看護師さんは「どっかからテレビ持ってきたげたよ〜♪」とテレビをセットしてくれた
昨日まで何も考えずに健康と元気を享受していた私には最も気が紛れたし、嬉しい心遣いだった
たまたま画面に中川家礼二のものまねが映り、笑うと痛いのも心地いいほど、心底から笑った
なんだか一気に明るくなり肺も直ぐに治る様な気がした
笑いはきっと心も身体もcureするものであると思う
こんな弱っている時に、ホッとさせてもらった方のことは 何年経ってもよく憶えているものだ
今度は、私がいつか誰かに元気と「ホッと」を分けられる太陽でありたいと想う
🌷 ♢ 🌷 ♢ 🌷 ♢ 🌷 ♢ 🌷 ♢ 🌷
【目次】
看護の日
もう3日前のことになってしまいましたが
5月12日は「看護の日」だそうです
フローレンス・ナイチンゲールの誕生日にちなんで旧厚生省は1990年にこの日を看護の日に制定したのだそうです
「21世紀の高齢社会を支えていくためには、看護の心、ケアの心、助け合いの心を、私たち一人一人が分かち合うことが必要であり、こうした心を、老若男女を問わずだれもが育むきっかけとなるように」
というのが看護の日制定の趣旨とのことです
ちなみに、国際看護師協会(本部:ジュネーブ)は
1965年から、この日を「国際看護師の日」に定めています
自然気胸に関する追記
- 自然気胸の原因はストレスや疲労であったり、稀に肺自体に「ブラ」と呼ばれる気泡のようなものがある場合その部分は肺の壁が弱い訳で、何かの拍子にブラがハジけると穴が開いて空気が漏れることもある
- 細身体型の男性に発症する確率が高い
- 普段気をつけることは「ありません」と言われました。気にせず飛行機にも乗りなさいと🛩
- この気胸事件以来、眠り始めから朝起きるまで終始仰向けで寝る能力を身につけた
- 詳しい話は今回は端折ることにするが、私はこの5年後にも同じ右肺自然気胸を起こしており、この際には全身麻酔下の胸腔鏡下手術を受けている。機会があればblogに書きましょう
豆知識:膏肓
膏肓:ことわざ「病入膏肓」「病膏肓に入る(やまいこうこうにいる)」
「膏」とは心臓の下の部分、「肓」とは横隔膜の上の部分のこと。
この部分は薬も針も届かないので、治療が困難な場所であり、そこに病が入り込んだということから、病気が重くなって治療のしようがないことを意味した。
転じて、あることに熱中しすぎて手がつけられなくなることをいう。
『春秋左氏伝・成公十年』にある以下の故事に基づく。
晋の景公が病気になり、秦から名医を呼んだところ、医者が着く前に景公は、病気の精が二人の童子となって、膏と肓の間に逃げ込む夢をみた。
医者が到着し、景公を診察すると「膏と肓の間に病気があり、薬も針も届かないので治療のしようがありません」と言ったので、景公はその医者を厚くもてなした。
まもなくして景公は没したという。
「膏肓」ツボの位置